第一番 稲毛山 広福寺

[宗派]真言宗

  聖観世音菩薩(御丈 五尺)

[所在]川崎市多摩区枡形6-7-1

     044-911-3782

[最寄]小田急線 向ヶ丘遊園駅

     徒歩10分

由緒

当寺は平安時代承和4年(837)、開基は狛江(こまえ)郷の刑部真刀自(おさかべまとじ)が広主(広福長者)の為に発願供養、広福之寺(続後紀承和十一年紀)、鎌倉時代は稲毛庄の中心地として、寺は稲毛重成の館となる。重成の妻は北条時政の娘で、頼朝の妻・政子の実妹。建久6年(1195)7月4日、一室円如大禅定尼病死。重成は悲しみに堪えず入道し、邸内広福寺を氏寺とし、長弁阿闍梨を請し寺を中興す。

尚、三回忌に相模川に架橋(馬入橋)し、亡妻の冥福を祈る。頼朝はこの時に落馬、翌年死亡。後、稲毛重成の一族は北条氏の陰謀により元久2年(1205)滅亡す。

当寺、広福の寺より創まり稲毛館跡により稲毛山と称す。戦国時代、元亀・天正の頃、信州松本の落武者が入山し松本山とも呼ぶ。永正元年(1504)9月、北条早雲、今川氏親の軍、当寺に座陣す。永禄12年(1569)6月、武田信玄の軍、当寺を攻撃、檀徒・横山式部少輔弘成防戦す。

 重文 地蔵菩薩 立像 等身大 平安時代作 刑部氏創立本尊

 重文 聖観世音 立像 等身大 鎌倉時代作 稲毛氏供養

 脇仏 阿弥陀仏 立像 四尺 戦国時代作 横山氏造立

 本尊 五智如来 座像 三尺 天和2年(1682)作 丹沢氏寄進

 稲毛重成木像及び一族位牌墓、横山式部弘成墓

 隆起文土器ほか、石器・板碑多数

御詠歌

たのめなを ひろきふくじゅの うみなれば

 だいひのなみの たたぬひもなし

地図