西国三十三ヵ所観音巡礼

聖地や霊跡を巡礼するという風習は、東洋にも西洋にも古くからありましたが、わが国の観音巡礼は大和国(奈良県)の(新)長谷寺(現在は真言宗豊山派総本山)の開山・徳道上人(656~?)がはじめられたといわれています。

養老2年(718)2月15日、上人は急死して地獄の閻魔大王に会ったところ、大王から

日本には観音の霊場が三十三ヵ所ある。どんな悪人でもこれを巡拝すれば、その罪をつぐなって、極楽に行くことができる。もち間違って地獄に来たものに対しては、私が身代わりになってやろう。これが証拠だ。

と上人の手に宝印を授けてくれた。そこで生き返った上人は、自分の手の中にある宝印を見て非常に喜び、自ら先達となって観音巡礼を始められたということです。

こののち、270年ほど経って、一条天皇のころ、花山法皇が長谷寺へご参詣になり、得度の戒師を求められたところ、

河内国(大阪府)磯長(しなが)の里にある聖徳太子の御廟所石川寺の仏眼上人こそ法皇の戒師たるべき方である

との観音さまのお告げを得たので、石川寺で仏眼上人からご受戒になりました。

そして法皇が、

仏恩に報いるにはどうしたらよいか。

と尋ねられたところ、仏眼上人は、

三十三所観音霊場の巡礼が廃れているのを再興されるのが何よりの仏恩報謝です。

といわれましたので、法皇は永延2年(988)3月17日より、西国三十三ヵ所の観音霊場の巡礼を始められ、各札所に現在「御詠歌」といわれている御歌を奉納なさいました。

 

以上が西国三十三ヵ所観音巡礼のおこりであり、山田平七翁はこれをなぞらえて本観音霊場を発願しました。