本尊 千手観世音菩薩
山田平七翁ご発願時には、泉福寺所属の山林のふもと道路に面し観音堂が建立され、泉福寺の境外堂宇であった。堂跡には宝永年間より天保年間(1830―1844)に亘る堂守の石碑も現存している。現在この山は観音山と呼ばれている。天保の頃、ご本尊は泉福寺に遷座され千手堂が建立されて札所となり、現在は第二十六番聖観世音菩薩と共に札所を分け合っている。
泉福寺は天台宗に属し、開基は不詳であるが智賢法印(永正2年[1505]4月28日寂)によって中興された寺である。境内には樹令八百年と伝えられる大公孫樹や樹令四百数十年の百日紅の老木が空を覆っている。
また古文書によれば、嘉永のはじめ5月の初めの日に農民によって泥中より発見された薬師如來像や、文久3年(1863)に地元の馬飼育者によって奉献された大きな馬頭観世音碑等がある。
ありがたや せんじゅのいとも つつみきて
じひのみもとに いまはきぬらん